手放した株の急騰に思うことー説明責任と結果責任
株価が押し目もなく騰がっています。自分の保有株もおかげさまで切りあがっていますが、かつて保有していた株にはそれ以上に騰がっているものも少なくありません。
それを見ていて、あることに気が付きました。
悔しい株と悔しくない株があることに。
例えば最近急騰した銘柄の一つ、エーザイ(4523)は私が売った昨年から倍以上になっています。思えば、数年間、配当で糊口をしのぎながら含み損を引きずっていた株でした。あまりに長い間、マイナスの数字を見続けていたのがつらかったのか、それから解放されたのがうれしかったのか、数万円の利益が出ていたところで他の株に資金を振り向けるべく売ってしまいました。典型的な「ヤレヤレ売り」です。考えてみれば、JPX400が鳴り物入りで設定されるなど、安定高配当の株の下値が盤石になったあの時期に売る必要はなかったのです。なんとも惜しいことをしたものだと悔しい限りです。
もう一つ、今年の初めに売ったかわでん(6648)も今日時点で6割以上上昇しています。ところが、こちらはそれほど悔しくはありません。「社員による7億円の着服が発覚して決算発表が遅延」という、明確な売却理由があったからです。実際には、その後、好決算と増配が発表され、結果的には売る必要はなかったということになります。しかし、少なくとも先のことが分からなかったその時点では合理的な判断の範疇だったと思います。
要するに、自分なりに明確で納得のいく理由に基づいて売買をしていたかどうかの違いです。結果がすべてではありますが、そこに至るプロセスが合理的であればあるほど、そのあとのパフォーマンスも長期的に良くなる可能性が高くなりますし、何より悪い結果に終わったとしてもそれを受け入れやすくなります。これは精神衛生上も望ましいことです。
世の中は理不尽なことであふれかえっています。結果に責任を取るつもりで起こしたものでない限り、自分の日々の判断や行動さえもその一部となりえてしまいます。自分自身に対する説明責任を果たすことが、結果責任を受け入れる度量を備えることにつながることでしょう。極論すれば、一見理不尽に見える世の中の出来事は、すべて自分自身の投影なのかもしれません。
逆に言えば、いま自分が持っている株で値上がりしているものについても、納得のいく理由に基づいて買ったものか、明確な理由によって保有し続けているものなのか、問いただす必要があります。勇んで買った株が下がった場合や、買おうと思ったけれど結局買わなかった株が騰がっている場合も同様です。
「そのトレードとホールドに理由はあるのか?」
常に自分に問い続けようと思います。